家康
2020年11月28日
『66城目』小牧山城(愛知県小牧市)
登城日:令和2年7月18日
天正10年
本能寺の変後、信長の後継者問題で
二男の信雄と秀吉が対立
秀吉は信雄を懐柔しようとしますが
これに応じず、かえって反逆したため
北伊勢の居住を攻撃。
信長に恩のある家康は、これを引き受け
大軍をひきいて清州城に入り
地の利第一の小牧山城に軍をすすめました。
一方、秀吉は大阪城を出て
犬山に入り岩崎山を中心に各地に幅広く
砦を築いて、小牧山の信雄と家康軍と対峙しました。
しかし、戦いは小競り合いを繰り返し
長く膠着状態が続きました。
秀吉は、家康の居城である岡崎城を
攻撃すれば、一挙に決着が付くと考え
軍の一部を密かに移動させますが
家康軍に気づかれ
家康自ら秀吉軍を急進撃します。
これが長久手を舞台に繰り広げられた
長久手の戦いで家康軍の完勝となりました。
登城日:令和2年7月18日
天正10年
本能寺の変後、信長の後継者問題で
二男の信雄と秀吉が対立
秀吉は信雄を懐柔しようとしますが
これに応じず、かえって反逆したため
北伊勢の居住を攻撃。
信雄は驚き、家康に援助を求めたところ
信長に恩のある家康は、これを引き受け
大軍をひきいて清州城に入り
地の利第一の小牧山城に軍をすすめました。
一方、秀吉は大阪城を出て
犬山に入り岩崎山を中心に各地に幅広く
砦を築いて、小牧山の信雄と家康軍と対峙しました。
このとき、両軍の兵は10万余りと言われています。
しかし、戦いは小競り合いを繰り返し
長く膠着状態が続きました。
秀吉は、家康の居城である岡崎城を
攻撃すれば、一挙に決着が付くと考え
軍の一部を密かに移動させますが
家康軍に気づかれ
家康自ら秀吉軍を急進撃します。
これが長久手を舞台に繰り広げられた
長久手の戦いで家康軍の完勝となりました。
(23:00)