上杉謙信
2020年06月02日
『43城目』唐沢山城(栃木県佐野市)
登城日:令和2年2月9日
唐沢山城の歴史について
説明していきます。
唐沢山に城を築いたのが始まりとされる。
6代成行は足利荘に移り一時廃城となった。
越後の上杉氏の二大勢力に挟まれ
どちらに付くか苦悩した。
当初、越後の上杉謙信と結んだ佐野昌綱は、
永禄2年(1559年)北条氏政に
3万5千の大軍をもって城を包囲された。
謙信は即座に援軍を差し向け北条軍を撤退させた。
関東における勢力圏の東端であり、
佐竹氏をはじめとする北関東の親上杉派諸将の
勢力圏との境界線でもあったため、
特に重要視されたと考えられている。
本丸には築城主と伝えられる藤原秀郷を
祀る唐沢山神社が鎮座している。
登城日:令和2年2月9日
唐沢山城の歴史について
説明していきます。
築城は平安時代に、藤原秀郷が
唐沢山に城を築いたのが始まりとされる。
その後、5代にわたりここに居城した後、
6代成行は足利荘に移り一時廃城となった。
平安時代末期の9代俊綱の弟成俊は再びここに城を再興し、
佐野氏を名乗った。
戦国時代の佐野氏は相模の北条氏、
越後の上杉氏の二大勢力に挟まれ
どちらに付くか苦悩した。
当初、越後の上杉謙信と結んだ佐野昌綱は、
永禄2年(1559年)北条氏政に
3万5千の大軍をもって城を包囲された。
謙信は即座に援軍を差し向け北条軍を撤退させた。
唐沢山城は謙信においては
関東における勢力圏の東端であり、
佐竹氏をはじめとする北関東の親上杉派諸将の
勢力圏との境界線でもあったため、
特に重要視されたと考えられている。
本丸には築城主と伝えられる藤原秀郷を
祀る唐沢山神社が鎮座している。
つづく。
(20:45)