続100名城の旅

2024年03月23日

139城目』黒井城 (兵庫県丹波市)
  登城日:令和4年3月20日(日)

一昨日半休を取る。
特に大きな用事もなかったが・・・。

病院から自宅に帰る途中
ふと。父のお墓参りでも行くかなぁ。
なんて、頭では考えたが

no title
お花も線香も、なにもない。
だけど、お彼岸なのでコンビに行けば買えるかな??
なんて安易な気持ちで、立ち寄ると
生け花も着火マンも線香も

去年の夏以来かな??
ここに来るの。

お墓も綺麗に掃除してあって、
お花も沢山あった。

どうしようかな??
なんて、しゃがみ込み、ふと墓石を見ると
父の名と没日が刻まれていて
それを見た瞬間、動けなくなった。

そうか、そうか・・・
父が亡くなった日が今日だったのか。


0000000
さて。黒井城
いやいや、坂ばっかりヒーヒーだわ。
看板が出てきて、納得

0000


(17:19)

2024年03月16日

139城目』黒井城 (兵庫県丹波市)
  登城日:令和4年3月20日(日)

139城目は兵庫県丹波市に在る
黒井城

ガッツリ山です

no title

お城巡りを終えてから、毎日家でグダグダしてます。
もうあれから4ヶ月も経つんだよなぁ。
いや4ヶ月しか経っていない。
なんかお城巡りなんて遠い昔のよう

00

いろんな天守、いろんな山城に行ったけど
どんどん記憶が薄れてゆく。
記憶障害みたいに 

だからのこの写真、
このブログが自分の記憶を呼び起こしてくれる。
大切な場所です。



0000


こうやって写真を見ると、昨日のことのように
思い出す。
人の記憶って曖昧なのか?単純なのか?
奥が深いのか?

0000000



(20:56)

2024年02月10日

137城目』飯盛城 (大阪府四条畷市)
  登城日:令和4年3月19日(土)

飯盛城は生駒山地の北部にそびえる
標高314mで飯盛山に築かれた中世の山城です。

東側に深い谷を配し、北と西側は非常に険しく
また、河内平野や遠くは京都まで一望できることから
軍事的に重要な場所とされました。

1560年に室町幕府の権力者三好長慶が
畿内平定の本拠地として入城
政治文化の中心となりました。


0000000000






(10:10)

2024年02月04日

137城目』飯盛城 (大阪府四条畷市)
  登城日:令和4年3月19日(土)

はぁ。はぁ
息切らせ登り着いた飯盛城
目線を上げると・・・
えっと。どちら様??

楠木正行像
楠木と言えば、江戸城内に在る楠木正成像
をすぐに思い浮かべたが
関係が在るのか?

no title

調べてみると、正成の長男のようです。
正行は四条畷の戦いにより
22歳で戦死していますね。

四条畷の戦いは、南北朝時代1348年
南朝側:楠木正行・実弟正時VS
室町幕府(北朝側)佐々木導誉の戦い。

ちなみに読み方が難しく、正成は有名ですが
楠木正成(くすのきまさしげ)
息子の方は楠木正行(まさつら)と読みます。

00
南北朝時代は無知すぎて、全然わからない
ちょっと、戦国時代から話がそれちゃいましたが
次回は三好長慶の話を

最後に山頂からの眺め
晴れてればいい眺めだろうな~??は素人の考えのようで
ここから京都がバッチリ見れるようで
だから、飯盛山城は敵を見張る最高の城
だったようですよ
000000


(10:52)